医療法人とは、医療法に基づいて設立される法人です。病院や診療所、介護老人保健施設などの開設を目的とし、公益性が重視されるため、営利を目的としない非営利組織として剰余金の配当は禁止されています。
個人診療所との違いは、主に収入の形と届出方法です。個人診療所は経営者個人が財産を管理しますが、医療法人では法人が財産を所有し、経営者(理事長)は役員報酬として収入を得る形になります。
現在の医療法人M&A市場は、経営者の高齢化によりかつてない転換点を迎えています。医療法人の理事長職にある医師の平均年齢は上昇の一途を辿り、団塊の世代が85歳以上に達する「2030年問題」を目前に、後継者不在による第三者承継のニーズが急増しています。
加えて、診療報酬の引き下げや設備維持費の増大など経営環境が厳しさを増す中、地域医療インフラを維持するための「出口戦略」として医療法人の売却(M&A)が選ばれています。
2007年の医療法改正以降、新たに設立できるのは「持分なし医療法人」のみとなりましたが、現在も多くの「持分あり医療法人」が残っています。これらの法人は、長年の利益蓄積により「出資持分(法人に対する財産権)」の評価額が高騰しており、相続時や売却時に多額の税金が発生することがM&Aの大きな障壁となっていました。
国はこの問題を解消するため、無税で持分なし法人へ移行できる「認定医療法人制度」を設けています。この制度の期限は2029年(令和11年)12月31日まで延長されました。
2026年現在のM&A実務では、この制度を活用して「持分なしへ移行し、相続税リスクを消滅させてから第三者へ売却する」というスキームが、売り手・買い手双方にとって安全な選択肢として主流になりつつあります。
医療法人の後継者が見つからない場合、選択肢として「廃院(閉院)」と「第三者への売却(M&A)」の2つが考えられます。近年は、財務的な理由からM&Aを選択するケースが増加しています。
医療機関を閉院する場合、建物の解体費用や原状回復費用、特殊な医療機器の廃棄費用、従業員への退職金などを含め、規模によっては1,000万円以上の持ち出し(キャッシュアウト)が発生するケースも少なくありません。長年地域に貢献してきたにもかかわらず、最終的に個人の資産を持ち出す結果となることは、大きな経営リスクと言えます。
M&Aによる第三者承継を選択すれば、こうした廃院コストを回避できるだけでなく、長年築き上げた事業の価値が対価として評価されます。さらに、採用難や設備投資といった過酷な経営課題から解放され、診療に集中したり、引退後の生活資金を確保したりできる点が大きなメリットです。
買い手側にとっても、新規開設を行う場合と比較して短い期間で既存の施設や有資格者を獲得でき、診療地域の拡大を図ることができます。この双方向のメリットが、近年の医療法人M&A市場が活況となっている理由の一つです。
医療法人の売却方法は、法人が「出資持分あり」か「出資持分なし」かによって大きく異なります。
出資持分とは、出資者が出資額に応じて法人の財産権を有するか否かを示す概念です。 出資持分あり医療法人では、出資者が財産権を持ち、退社時や解散時に払い戻し請求権が認められます。一方、出資持分なし医療法人では出資者に財産権はなく、解散時の残余財産は国や地方公共団体に帰属します。
医療法人の出資持分(株式に相当するもの)を買い手に売却することで、経営権を移転する方法です。手続きが比較的簡便で、法人全体を包括的に引き継げます。対価は売り手個人の譲渡所得となります。
医療法人が運営する病院や診療所の事業(資産・負債など)のみを他法人に譲渡する契約です。隠れ債務のリスクを回避できますが、診療所の廃止・新規開設の手続きが必要になり、時間と労力がかかります。
複数の医療法人を統合し、一つの法人にする売却方法です。包括承継により、権利や義務をそのまま引き継ぎます。
持分なし医療法人の場合、財産権(持分)が存在しないため、「持分譲渡」という手法が使えません。よく「法人格の売買」という言葉が使われますが、実務上は最高意思決定機関である「社員総会の社員」と、業務執行機関である「理事」を入れ替えることによって実質的な経営権を移転します。
医療法における「社員」とは、病院で働くスタッフのことではなく、株式会社における「株主」に相当する議決権を持った構成員のことです。 買い手側が指定する人物(通常3名以上)が新たに「社員」として入社し、その後、旧経営者側の社員が一斉に「退社」することで、社員総会の議決権(支配権)が買い手側に移ります。
社員総会を掌握した後、新たな理事を選任します。医療法上、理事長は原則として医師または歯科医師でなければならないため、買い手側が一般企業やファンドの場合は、理事長となる医師を事前に確保しておく必要があります。 地域密着型のクリニックの場合、患者の離脱を防ぐため、旧理事長が売却後も一定期間「顧問」や「院長」として残留するケースも多く見られます。
医療法人のM&Aにおいて、必ずと言っていいほど論点になるのが「MS法人」の存在です。MS法人とは、医療法人の理事長の親族などが設立し、医療法人の不動産管理や医療事務、医薬品の発注などを請け負う営利法人のことです。
土地・建物がMS法人所有であったり、主要なスタッフがMS法人に雇用されている場合、医療法人単体での買収は成り立ちません。そのため、実務上は「医療法人の経営権移転」と「MS法人の株式譲渡」をセットで行う一体売却が基本となります。
医療法人は非営利組織であるため、配当が禁止されています。もし過去に、MS法人に対して「相場より著しく高い業務委託料や家賃」を支払って実質的な利益還元(配当)を行っていた場合、買い手のデューデリジェンス(買収監査)で厳しく指摘されます。 2026年現在、行政による指導も厳格化しており、不適切な契約関係が残っていると買収価格が大幅に引き下げられるか、買収前にMS法人の清算を求められるリスクがあります。
医療法人の譲渡価格は、単なる出資額や勘定科目上の数字で決まるのではなく、一般的に「時価純資産 + 営業権(のれん)」という計算式に基づいて算定されます。
時価純資産とは、法人が保有する総資産から負債を差し引いた実態的な資産額です。そこに加算される「営業権」は、立地の優位性、診療科目のブランド力、現在の患者数(レセプトデータ)、スタッフの定着率など、前理事長が長年築き上げてきた「無形の価値」を金額換算したものです。
出資持分なしの医療法人であっても、同様の評価に基づいて退職慰労金が算定されるのが一般的な実務です。
実際に売却を決断してから譲渡が完了するまでには、買い手の選定から行政手続きの完了を含め、一定の期間を要します。突然の病気などで焦って譲渡先を探すと、十分な引き継ぎ期間を確保できず、希望する条件での譲渡が難しくなる可能性があります。
スタッフや患者への混乱を最小限に抑えるためには、譲渡完了までに「2〜3年」程度の期間を想定し、早めの準備・計画を立てることが推奨されます。
M&Aにおいて理事長が最も気になるのは「最終的にいくら手元に残るのか?」です。対価の受け取り方によって適用される税率が大きく異なります。
2026年現在の実務では、譲渡対価の一部を「退職金」として受け取り、残りを「持分譲渡(持分ありの場合)」として受け取るハイブリッド型が、最も税引き後の手残りが多くなる傾向にあります。
ただし、不当に高額な退職金は税務署から否認されるリスクがあります。実務上は「最終報酬月額 × 勤続年数 × 功績倍率(通常3.0倍程度)」が適正範囲とされます。 2026年より源泉徴収票の提出義務が拡大され、税務当局のチェックがより厳格化しているため、議事録に「地域医療への貢献実績」などを具体的に記載し、高額な退職金の根拠(特別な功績)を可視化しておくことが極めて重要です。
医療法人のM&Aにおいて、経営者が最も気にかけるのが「スタッフや患者に対する責任」です。売却の前後で患者に不安を与えず、スタッフの離職を防ぐためには、慎重な対応が求められます。
単に条件が良いというだけでなく、前院長が大切にしてきた「理念」や「診療方針」にマッチした信頼できる後継者を選定することが、円滑な引き継ぎの重要なポイントです。
タイミングを誤って早期に売却の情報が漏洩すると、不安に駆られたスタッフの離職を招き、デューデリジェンス時に算定された企業価値が毀損するリスクがあります。
そのため、最終契約の締結直後など、専門家の助言に基づいた適切なタイミングで公表することが、M&Aを成功に導くための定石とされています。
医療法人の売却は法的・税務的な制約が多く、専門家のサポートが不可欠です。財務分析や税務対策は税理士、契約や法的リスクは弁護士など、各専門家と連携できるM&A仲介会社に相談することが、適正価格でスムーズな売却を実現する第一歩です。
買い手が売り手の経営状況や潜在的なリスクを詳細に調査します。財務状況(簿外債務の有無)、法務状況(契約の適正性)、労務状況(未払い残業代など)が厳しくチェックされます。
最終契約書が締結された後、クロージングに向けて行政手続きを行います。都道府県知事への役員変更届や定款変更認可、保健所・厚生局への各種届出(事業譲渡の場合は廃止・新規開設届)など、医療業界特有の煩雑な手続きを抜け漏れなく進める必要があります。
医療法人の売却は、個人のクリニックや一般企業のM&Aとは全く異なる専門知識が求められます。特に2026年現在は、「認定医療法人制度を活用した持分なしへの移行」や「社員総会の適法な掌握」「MS法人との契約適正化」など、M&A実行前の準備(磨き上げ)が成功の鍵を握っています。また、手元に残る利益を最大化するためには、退職金スキームを用いた緻密な税務戦略も欠かせません。医療法人の実務と法務に精通した専門家と連携し、安全確実な医業承継を実現しましょう。
画像引用元:名南M&A公式HP
画像引用元:エムスリー公式HP
画像引用元:日本M&Aセンター公式HP